圧倒的睡眠法
羊を数えたり、クラシックを聴いたり。
時には、犬がただ寝るだけの映像を見たり。
この世界にはたくさんの睡眠法がある。
睡眠欲を満たす為、先人たちは様々な方法を考え出してきたのだと考えると、尊敬の念を感じてやまない。
そして、僕は思うわけです。
数学の授業に勝る睡眠法など存在しないと。
math半端ないっす!たまんねえっす!
答えを考えていたんじゃないのか俺!
なんで授業が終わってるんだ。
別に寝たいわけじゃない。
なんなら1年の時に単位落として、瀬戸際なんですよ。
あれから2年の時を超え、この秋やってきたリベンジチャンス。
苦手意識など投げ捨てて、気力は十分、勝負だ微分。
そんな決意は何処へやら。
起きたら終わってんですよね!説明がまるまるね!そんなん続けざまに寝るしかないじゃないですか!
これだけ気合入って、数学の授業受けてる奴なんかこの大学にいないよ!
けど、そんな気持ちは、巨人に駆逐される人間のように簡単に潰されるんです。
強大な力の前では、あまりに無力なんですよ。
眠れないあなた、騙されたと思って数学勉強してみて下さい。もちろん、個人差はあると思いますが、物は試しです。特に数学が苦手な方は「こうかはばつぐんだ!」です。
恐らく1番効果があるのは先生の説明を受けるという方法だと思いますが。
彼女らは魔法使いです。絶対呪文唱えてます。心なしかラリホーマって聞こえましたもん。
結局、寝るのも分からないのも僕がいけないんですけどね!笑
新しい読書
「この前読んだ本良かったから、読んでみない?」
この前、友人に勧められて
『アイネクライネナハトムジーク』[著]伊坂幸太郎
という小説を読んだ。
「アイネクライネナハトムジーク」とは、モーツァルトが作曲した小夜曲である。
「小夜曲」とは、 夕べに、恋人の窓下で歌い奏でられる音楽と定義されている。
学生時代の清掃の際に流れていたという方も多いのではないだろうか。
伊坂さんの本は、過去にも数作読んだことがあったため、特に抵抗もなく、すんなりと受け取った。
内容は、6作からなるオムニバス形式の短編集で、恋愛小説と呼べる(あとがきには友愛小説なんだと記述されていた)
オムニバス形式の作品を読むと、糸を作る過程みたいだなと思う。
「蚕が出した繊維を束ねあげて、糸はできるんだ」と昔、祖母が言っていた。
細い繊維が何重にも絡み合い、やがて一本の太い糸となる。
全体を通して言えば
「野球や本、人生もきっと同じで、色々な予期せぬことが重なり合って、一つの形として出来上がるのかな」なんて考えさせてくれた本だった。
前後の短編での人間関係が重なり合い、最後の短編では全てがつながる。
読後は、一種の爽快感のようなものを感じた。伊坂さんはこういった伏線回収が特徴らしい。
僕の小説の選び方は、基本的には「自分が読みたい!」と思うか否かという感情に任せている。
気になる題名の本を手に取り、最初の一行と最後の一行を読む。これは、医学部の友人が僕に教えてくれた技だ。こうすることで、大体の雰囲気はつかめるらしい。
僕はいまだその境地にはたどり着けていないけれど。
自分が読みたいと思った本でないと、僕はなかなか読み進めることができなかった。
一度、先輩からこれを読めと10冊くらい押し付けられたことがある。読む気にならなかったので、謝罪と返却に後日、伺ったのだが、その際、ネチネチと怒られた。
「人から借りといて読まないとは何事か」
と一言怒ってくれれば、「僕が悪い」の一言で切り替えられるのだけれど
「俺としてはお前の為を思って」だとか、遠回しに私生活はこうあるべきだと強要までされると、嫌な感情は尾を引く。
その時「流れに身を任せず、ちゃんと断ろう」と確固たる決意を固めていたのだが、
今回、そんな僕に、友人は新しい読書の仕方を教えてくれた。
過去の経験から学ぶことも多いけれど、それが今の自分の邪魔をするなら捨て去ってしまえばいい。
少なくとも、友人が紹介してくれなければ、僕はこの本と巡り合うことはなかったと思う。
こういう読書も悪くない。むしろ良いものだ。
感謝の言葉と共に、僕のおすすめ本を友人に渡したのは、押し付けなのだろうか。
先輩。今度、本借してください。
p187行5
「 自分が正しい、と思いはじめてきたら、自分を心配しろ、って」
チャイコフスキー:弦楽セレナード/モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジー
- アーティスト: サイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾,モーツァルト,チャイコフスキー,小澤征爾,サイトウ・キネン・オーケストラ
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万事連結
はてなブログへようこそ!
日々の生活、喜びと悲しみ、特別な出会い、ちょっとした考えや思いつきをブログに書き残してください。しばらく続けて読み返したときに、また新しい発見があります。
さあ、最初の記事を書いてみましょう。
ということで、読み返したときに、新しい発見をした話を一つ。
先日、高校時代の部活ノートを読み返した。
自宅の本棚の一角に、ほこりをかぶってたたずむノートを手に取ったのは
ほんのきまぐれであったが、
今は、ノート達が「そろそろ手に取ってごらん」と呼んでいた気がしてならない。
ノートには
その日の練習内容、技術指導の内容、今日感じたことなど、
自分の思っていたことが自由に書かれていた。
そしてノートの最後には、必ず毎日同じ言葉と、一言が書かれていた。
高校卒業から年月が経ち、僕は変わったと思っていた。
迷いある日は「変わってしまった」と思い、充実した日は「成長しているのかな」
と思う。
「当時の自分とは、同じ一人の人間なんだけれど、今は違う人間なんだ」
そう考えて、最近生活をしてきたつもりだったが、
過去のノートには、所々、今の僕がいた。
考え方や文章表現の仕方、癖というのは今も昔も変わらないもので、
思わず「俺じゃん!」と口に出してしまった。
「うわ、ミスで代えられた日だ」「この日、コツつかんだんだよなー」
「そういえば試合中、あいつと言い合いしたな」
記されている言葉がきっかけとなって、様々な記憶が蘇る。
今の自分から見れば、考え方が甘いと思うことも、何を偉そうに言っているんだと思うことも書いてあるので、ノートを読み進めることはなんだかこっぱずかしかった。
身体から変な汗が出る中、その恥ずかしさに打ち勝って読み進めていくうちに、ある言葉を見つけた。
「万事連結」
この言葉は辞書に存在しない。恥ずかしながら、僕が勝手に作り出した造語だ。
「万事」はすべてのこと
「連結」は一続きになるようにつなぎ合わせること
二つ合わせて、「すべてのことはつながっている」ということだ。
いつ作り出したか忘れていたが、まさか高校生の頃だったとは。
なんとおこがましい。
けれど、僕は本当にこの世は「万事連結」だと思う。
僕は「野球」と「物語」が好きだ。映画も見るし、本も読む。ドラマも見るし、アニメだって見る。人の話を聞くのも好きだ。恐らく、妄想癖もある。
今、僕は指導する側として野球に携わっている。
自分が指導をするときのたとえ話の中で、「飛べねえ豚か、飛ばねえ豚か。打てねえ奴か、打たねえ奴か」というものがある。
「飛ばねえ豚はただの豚だ」
これはスタジオジブリ作品『紅の豚』で有名な台詞だ。耳にしたことがある人も多いだろう。
だが、実際に作中で登場する台詞は「飛ばねえ豚はただの豚だ」である。たった一文字の違いだが、その一文字の違いで印象は大きく異なる。
「飛べねえ」だったら飛ぶことができないという意になるし、「飛ばねえ」だったら飛ぶことはできるけどあえてそれをしないという意になる。これと同じように、打てないのと打たないのとには大きな差があるんだよ
と話をするのだ。 こう説明をすると、ほとんどの人が納得してくれる。
僕がこの説明を生み出せたのは、『紅の豚』を見ていたからだし、
「あ、これ使えるんじゃね?」と
「野球」と「物語」をくっつけただけだ。
これが僕の言う「万事連結」(言葉の特許ってあるんですかね笑)なのである。
そして僕は、ノートを元の位置に戻し、眠りについた。
以上で新しい発見をした話というか、発見の再発見という話を終わりにします。
こうして記念すべき第一回を迎えたわけですけれども、
読んでいただいた方、最後までお付き合いありがとうございました。
そして、サンキュー当時の私!
お前のおかげで、ブログなんか書けちゃったよ!俺頑張るからねっ!!
と、こういった感じで、記す内容も、文体も特に決まりなく、書きたいことをだらだらと気負いなく記していきます。不快にさせてしまったらごめんなさい。
自分が書きたいことを書いて、それを楽しんで頂けたらそんな嬉しいことはないというスタンスで続けていきたいと思います。
以上、スギノでした。
これからよろしくお願いします!